Quiero ser un girasol
みんなを平等に笑顔にするひまわりになりたい。
セブにきて25日がたちました。
大学生2人と大人5人でセブの六本木と言われる場所で超絶いいお家に住んでます。
セブだって東南アジアなんだから雑多な感じで居心地がいいと思ってたら、家の周りは東京となんら変わらないビル群。なんだか価値観がズレまくってる大人たちに囲まれてます。
経験とワクワクを買いに日本を飛び出してきた私と、
ちゃんと稼がなきゃいけない大人たち。
みんなが揃えばお金の話ばっかり。
私たちだけが文句言ってるみたいだからはるなもちゃんと言いな、って
大学生は別に生活かかってないからいいよね、って
なんか心に引っかかる言葉がいっぱい飛んできて部屋にこもってた。
家の居心地が悪くて、素を出せなくて、
みんなのことが好きになれなくて、
仕事がこんなに楽しいのに家に帰るのが嫌で、
みんなでご飯に行ってもひとりで帰るってセブの街を泣きながら歩いた。
こんなにハッピーじゃないことが久しぶりすぎて対処方がわかんなくて悩みまくってた
ホームシックなんかじゃなくて
ただただ帰りたかった。
望んでた居心地のいい空間は、一人で行くなと言われたコロンとたくさんの人種から差別を受けてセブの水の上に家を作って住み始めたバジャウ族
毎日がつまんなかったのにここにきた理由が一瞬にして思い出された。
私が買いたかった経験は仕事だけじゃない。
裕福だろうと貧相だろうと平等にある幸せを感じにきたんだ。
大人たちは水上に住むバジャウ族のところに行くとこうゆうの。
臭い。汚い。こんなとこ住めない。
でも、ここで生きるみんなは笑ってる。
多分幸せの価値観ってそうゆうところでみんなといるとどんどん広がる。
私はここだって、今まで行ったいろんな国の電気も水も整ってない村でもみんなが笑ってればそれだけで幸せだった。
お金がなくて、物がなくて。
でもそのなかでもみんな幸せなのに。
なんで可哀想って思うんだろう。
日本の環境が当たり前で、それだけが幸せって思って欲しくなくて。
でも、バジャウに行くってゆうとまた行くの?!って
気をつけてちゃんと帰ってくるんだよって。
私からしたら隣町に遊びに行く感覚なのに、
あたかも危険な地帯に行くかのように言われる。
大人になるといろんなことを考えて、
安全を求めて臆病になって、
目の前にある大切な物から目を背けるようになる。
そんなことを感じて悔しくてたまらない。
日本じゃなくたって、テロがあったって、戦争をしてたって、
私からしたらそこに笑顔があればその人たちは幸せ。
笑顔って幸せを連鎖するじゃん。
トトロの中でお父さんが怖い時は笑いなってゆうじゃん。
笑顔って怖さも不安も全部取り除く魔法があって、笑顔って幸せを呼ぶって信じてる。
みんな平等の幸せをひどい言葉で片付ける大人になりたくない。
そんな大人たちに何か感じてもらいたい。
でも、結局何もできない自分が悔しい。
だから、ひまわりになりたい。
どんな環境に行ってもみんながもっと笑顔になればいいのに。
思ってること書くとやっぱりまとまらないただのメモになるね。